パスポート

6.副作用の検証

建物内の給水管や空調冷温水管内の酸化作用を抑制し、還元する事は検証できたが、人間の体内、特に血管内で活性酸素の働きを抑制する為に、還元性の電子を供給した場合、どのような副作用が起きるかが大変心配したところであった。血液は体内のどこへでも行っているので、そこでこの電子の発生がいくら微弱と言えども体内のホルモンのバランス、脳内の記憶をつかさどる微弱な電気信号の伝達などに悪影響を与えないか、このプロジェクトを開始するに当たり、最も心配していた事であった。

しかしいくら心配しても解決方法は見出せるわけでもなく、どの様な実験をしてもこの問題は解決し難い事であった。昔、ジェンナーが「種痘」を開発した時にテストする人間を探すことが困難であった為、自らの体を使用してテストした話は有名であり、私もこの先人の教えに従うことにした。

但し、ジェンナーは数日~数ヶ月の短い期間で効果及び副作用の検証が可能であったが、私の場合は、その効果及び副作用の検証期間を10年間とした。なぜなら、体内、特に血管内の活性酸素の働きを抑制し、各種効果を確認する上で最終的に老化現象を、どれだけ抑制できたかは、10年間経過してかなり明確に判明する事と、その副作用も長期間使用して初めて分かるものと考えたからであった。

そして10年間の私自身の身体を使用してのテストは2年半前に終了し、その時点で私は強く確信した。過去10年間で私の外見、体力及び各種機能、そして特に顔の皮膚の状態は殆ど変化はなく、私自身が昔から人の年齢の判断にしている手の甲の血管の出方は、昔より少なく殆ど見えなくなっていた。顔の目の周りの皺も殆どなく、頬のたるみも変わらないどころか少し減少した様な感じもする。

この事を確認したのは、1ヶ月前の2011年4月下旬にモンゴルへ行った時のことだった。モンゴルでは約20年前からボランティア活動を開始し、日本モンゴル友好交流協会というNGOを組織し、モンゴルの青少年に対する教育と医療の支援を行うと同時に、15年前にモンゴル国際経済大学(The Institute of International Economics and Business)という私立大学を、私の20年来の盟友であるドルジンツェレン元駐日大使と共同設立した。そのモンゴル国際経済大学は現在、モンゴル国内の私立大学で規模・質の両面において最上位となった。近い将来には国立大学を含めてモンゴルでNO1の大学にする為、今年の5月2日3日の両日に私達の大学を会場にして、全モンゴル大学間学力コンテストを、私が賞金のスポンサーとなる事を条件に提案し、それが実現化し、実施の運びとなった為、私も審査員の一人として、そのモンゴルで初めての第1回モンゴル大学間学力コンテストに参加した。審査員は私の他に日赤振興会元社長の青木行雄氏、米国より元駐中国米国大使婦人のKaye博士、モンゴルより4名の国立大学教授、2名の私立大学教授であった。学力コンテストは各大学より3名の優秀な学生を選抜し、その3名の総合得点で評価を行った。その結果、大学でNO1になったのは、日本では東京大学に当るモンゴル国立大学だった。そして、我がモンゴル国際経済大学は他の国立大学を抑え、堂々第2位になった。将来この大学間学力コンテストで第1位になれば、モンゴル国内で名実共にモンゴルを代表する大学になると確信すると同時に、その設立が日本とモンゴルの共同設立であることは、日本にとってとても名誉な事と確信している。話は逸れたが、その目的の為、4月30日にウランバートル市のチンギスハン国際空港より入国しようとした折、ベテラン入国審査官が私のパスポートを何度も確認し、私の顔を繰り返し見ては、入国許可のスタンプをなかなか押してくれなかった。どうやらパスポートが偽装されていると疑っている様子であったが、私のパスポートには発行から6年を経過しており、すでに100回以上の他国の入国許可スタンプが押されている為、偽装ではないことは明らかなのであるが、10分以上パスポートをチェックし、私の顔を詳細に何度も観察しても、スタンプを押そうとしなかった。私はついに「1949年生まれだけど、私は科学者で老化を防止する技術を開発したのだ」と英語で言ったところ、スタンプを押してくれた。

モンゴルは比較的男性の老化が早く、1949年生まれだと男性の半分は亡くなっているか、生きていても顔は皺だらけで長老の部類になる為、入国審査官は、私の顔を見てにわかに信じられないと思ったようだ。

入国審査官が私のパスポートに対して疑念を持った理由はもう一つあった。

パスポートは10年間有効のもので、発行は6年前でその写真も6年前のもののはずなのに、何故かパスポートの写真の方が、現在の実際の顔よりだいぶ老けて見えることであった。